2013年6月22日土曜日
2013年6月18日火曜日
ほんじつ休ませて戴きます I
「ほんじつ休ませていただきます 〜大阪 古書店主のメッセージ〜」というタイトルにひかれ、2012年12月24日(月)にNHK大阪で放映された「かんさい熱視線」を録画しました。視聴したのは2013年になってからですが、そこで初めて「青空書房」を知りました。
大阪市北区にある古本屋「青空書房」の週に1度の定休日には、手書きのポスターが貼り出されます。
反響が大きかったのか、2103年3月20日(水)のNHK総合の「にっぽん紀行 2013春」でも放送されました。ナレーションは麻生祐未さんに代わり、タイトルも「89歳のラブレター 〜大阪・天五中崎通商店街〜」に変えられていましたが、ほほ同じ内容で紹介されていました。店主が若い女性が好きなことも紹介されていました。とてもお茶面でした。
更に、2013年4月7日(日)にも「にっぽん紀行 選2013春」として再放送されていました。
そこには、店主から客へのエールの言葉が綴(つづ)られ、多くの人たちの共感をよんでいました。リストラされた男性、介護に追われる女性、それぞれが、ポスターの前で足を止め、店主の言葉を胸に刻んでいる様子が番組で紹介されていました。
なぜ、ポスターが人々の心を打つのか。都会の片隅で息づく、古本屋の店主とお客さんとの粋な交流を見つめていました。
大阪に単身赴任中の私は、興味があるものの、休日の商店街にポスターだけを見に行くことに対して「ちょっと、面倒」と思っていました。ところが、調べてみると、ウォーキング圏内であることが分かりました。ということで、早速、5月12日(日)に行ってみました。
「青空書房」は、大阪市北区の天五中崎通商店街にあります。
予想より小さな店舗でした。
5月12日(日)のポスターです。
5月19日(日)のポスターです。
番組内でも亡くなられた奥様が大好きだったことが紹介されていましたが、このポスターからも伝わってきます。にっぽん紀行になってタイトルにラブレターという言葉が付与されたのも、そのせいだと思われます。
これからも時々訪問します。
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2013年2月15日金曜日
HCD-Netセミナー in 大阪を開催します
HCD-Netでは、毎年初心者向けのセミナーを実施しています。今回の「HCD-Netセミナー in 大阪」では、HCD手法の一つであるペーパープロトタイピングとユーザビリティ評価についてセミナーとワークショップを行います。
また、企業におけるペルソナ法、ペーパープロトタイピングの活用事例を紹介します。人間中心設計の導入を検討している方、手法を理解したい方、ユーザビリティの基礎知識を必要としている方に最適な内容となっています。是非この機会にご参加ください。
開催日時:2013年3月19日(火)15:00~18:00
開催会場:株式会社TAM コワーキングスペース
プログラム:講演① 「携帯電話開発におけるペーパープロトタイピングの活用事例」 渡辺英範(京セラ)
講演② 「業務用製品開発における施設ペルソナ・ユーザビリティ評価の取り組み事例」 水本徹氏(シスメックス)
演習① 「ペーパープロトタイピングとユーザビリティ評価」
詳細はこちらを参照してください。
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2012年12月11日火曜日
2012年6月18日月曜日
建築物探訪VIII
名称:雑喉場橋 親柱
住所:大阪市西区江之子島1
かつてこのあたりに百間堀川が流れていたそうです。川幅は30m程で江戸堀川、京町堀川、阿波堀川を集めて木津川に合流していたようです。
百間堀川の東岸鷺島は、江戸時代より雑喉場の魚市と呼ばれ天満の青物市、堂島の米市と並ぶ大坂三大市場の一つとして、大坂人の台所をまかなっていたとのこと。
その当時の雑喉場はことのほか活況を呈し大坂商人の商人魂を培っていた。しかし、300年の歴史を持つ雑喉場も昭和6年の中央卸売市場の開場によりその歴史を閉じた。
江戸後期、雑喉場から百間堀川をこえて、対岸の江之子島に架かる橋は、上之橋、下之橋の2橋があった。
明治に移り、7年に江之子島に大阪府庁舎が建設され、その翌年、大阪で5番目の鉄橋として下之橋とほぼ同じ位置に雑喉場橋が架けられた。
その後2度改築されたが昭和39年に百間堀川の埋立てとともに、雑喉場橋も姿を消した。
雑喉場橋はこの碑の東側にあたり、この親柱は大正11年改築時のもので、その上の照明灯は当時の姿を復元したものである。
メンテナンスが施されていないようで、結構痛んでいました。
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2012年6月17日日曜日
建築物探訪VII
名称 :木村邸
住所 :個人宅なので省略
竣工 :大正3年
設計者:不明
神戸の異人館は有名であるが、現存するのは少ないものの、大阪にも異人館が沢山あったとのことです。
明治時代から大正時代にかけて、大阪西区の川口辺りは川口居留地と呼ばれ、神戸北野の異人館街と同様の外国人居留地だったようです。
斬新な色の建物は「木村邸」です。調べた限りでは建築年、設計者不詳がほとんどであったが、大正3年建築との記載もあった。
外観は神戸北野に見られるような和洋折衷建築のような感じですが、内装は和風建築だそうです。2階の窓の高さも低く、手摺りがあることから、畳式であることがうかがえる。
当時の府庁の高級役人のための官舎で、副知事も住んでいたことがあるようです。
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2012年6月12日火曜日
2012年5月28日月曜日
2012年5月27日日曜日
建築物探訪IV
5月27日(日)は自転車で大阪市天王寺区清水谷町まで行ってきた。
目的は「NEXT21」です。
NEXT21のことを大阪ガスのHPで調べてみました。
近未来の都市での環境・エネルギー・くらしについて考えていくため、大阪ガス(株)が大阪市内に建設した実験集合住宅とのことです。
沢山の賞を受賞したようです。
増改築を無計画に実施してきたようにも見えます。
怖い廊下ですね。
1993年10月に竣工、1994年4月~1999年3月までの5年間、 また、2000年4月~2005年3月までの5年間、計10年に渡り、社員16家族が実際に居住し、様々な実験を行いました。
それぞれ、「第1フェーズ居住実験」「第2フェーズ居住実験」と呼んでいるそうです。
緑が多いのが特徴ですね。
意味はあるのでしょうが、私には意味のないデザインに見えます。
やっぱり怖いぞ!
当然ですが、「許可なき立ち入りはご遠慮ください」との看板が・・・。
中も見たかったです。
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2012年5月13日日曜日
2012年3月12日月曜日
建築物探訪III
住吉大社に参拝したことは既に紹介したが、参拝するのが主目的ではなく、有名建築を見に行くことが目的であった。
「住吉の長屋(すみよしのながや)」は安藤忠雄氏の初期の代表的な住宅建築です。1979年(昭和54年)に日本建築学会賞を受賞しています。 それまでは無名に近かった安藤忠雄氏はこの建築で注目されたと記憶しています。
Wikipediaによると、竣工は1976年(昭和51年)2月とあります。大阪市住吉区の三軒長屋の真ん中の1軒を切り取り、中央の三分の一を中庭とした鉄筋コンクリート造りの小住宅です。
駐車場側から撮影しました。手前のコンクリートの建物が「住吉の長屋」です。窓とベランダがある奥のコンクリートの建物は隣の住宅になっています、外に面しては採光目的の窓を設けず、採光は中庭からだけに頼っていることが分かります。
設計図や写真で何度か見たことがあるのですが、予想以上の狭小物件で驚きました。
玄関から内部に入ると居間があり、台所や2階に行くには中庭を通らねばなりません。かねてより機能性や連続性に絶対的価値をおくことに疑問を持っていたという安藤忠雄氏の渾身の表現であり、関西に根付いた長屋の住み方を現代風にアレンジしたものとして高く評価される一方で、「使いにくい」、「雨の日に傘を差さないとトイレに行けない」などの当然起こりうるべき非難もありました。
TVで見たことがあるのですが、建築学会賞の審査委員でもあった丹下健三氏は「安藤ではなく施主が一番偉い」と言っていたそうです。安藤忠雄氏本人が言っていました。また、航空写真、もしくは背面から建築物を見ると、壁面が一部セットバックしており、一般に公開されている、綺麗な長方形の平面図は一部フィクションである事が分かるということです。
そういえば、京都のソフトディバイスさんのオフィスも安藤忠雄氏設計のビルであることを思い出した。
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2012年3月11日日曜日
Osaka eXperience XV
大阪に単身赴任をしている私は、週末を横浜の自宅に戻ることも多い。週末を大阪で過ごす場合は自宅周辺をウォーキングするのだが、寒さが和らいできたので、電車で出かけることにした。
参拝したのは「住吉大社」。ここは全国2,300社余りの住吉神社の総本社だそうです。
大阪は自転車の人が多いです。
住吉の象徴として大変有名で太鼓橋とも呼ばれています。昔は、この橋の近くまで波が打ち寄せられていたようです。夜は21時までライトアップされ、関西夜景100選にも選ばれています。
川端康成が、小説『反橋』で「上るよりもおりる方がこはいものです」と書いたことでも知られています。 本当にそうでした。画像では分かりにくいですが、私の足の半分もない感じでした。
ヒールを履いている若いは転んでお尻から落ちていました。
住吉大社は20年ごとに本殿を新しく建て替える遷宮を行っています。古く由緒のある神社、たとえば伊勢神宮や香取・鹿島・賀茂社などでも同様に、数十年単位で御本殿を新築していくことが伝統でした。
近世に入ると、住吉大社では本殿の修繕・改修とともに、お祭を行うようになりました。本殿の改修では、特に丹塗りや桧皮葺が重要で、ヒノキの樹皮を加工した桧皮(ひはだ)で屋根を葺きます。撮影した社は第49回式年遷宮で平成20年~21年にかけて斎行され、国宝社殿の塗替をはじめ、諸建造物の修理を行い、境内の整備をしたということです。「農耕の神さま」も祭られているということです。
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2011年9月10日土曜日
2011年8月1日月曜日
Osaka eXperience XIII
2011年7月31日日曜日
Osaka eXperience XII
7月31日(日)に故岡本太郎氏の「ダンス」を見てきた。
3月19日にBS朝日で放映された「STYLE BOOK」で紹介されてから必ず見に行くと決めていたのである。
近くに住んでいるとなかなか行かないものであるが、7月30日(土)の「STYLE BOOK」で再放送されていたので、予定を変更して出かけたのである。
この作品は1952年に完成し、1969年頃まで髙島屋大阪店の大食堂に飾られ、以降は髙島屋史料館に保存されていたとのことです。
岡本太郎生誕100年を記念する事業の一つとして修復することになったようである。制作は伊奈製陶(現INAX)であったので、修復もINAXが担当している。
修復の様子はINAXのHPで詳しく解説されています。これを見てから実物を見るととても楽しめます。
素晴らしいです。
確かに、タイルの目地にペイントが施されています。
公開は2011年3月1日からだったのに、既に赤色のペイントが剥げています。
「赤」は、やきものでの再現が最も難しく、当時の伊奈製陶のモザイクタイルのカラーチャートには存在しなかったため、黄色のタイルの上にペイントをしていたのであるが、それが本当であることが分かります。
エスカレータホールに展示されているのであるが、誰も足を止めて見ることはない。
私はしばらく居たが、その間に近くに来る人はゼロであった。
よい休日を過ごせた!
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