2012年8月14日火曜日
建築物探訪IX
7月中旬にアメリカに2週間出張した。最初の1週間はWashington D.C.郊外のSliver Springに滞在した。
ある日。夕食を終えてホテルに歩いていたら、建築中の建物が遠くに見えた。気になったので、翌朝は早起きして見に行きました。
何が気になったのかというと、5階建ての上部4階(2~5階)が木造ということです。
構造用合板のパネル工法なので、強度があるのでしょうが、日本では考えられません。アメリカは西海岸以外は地震がほとんどないと聞いたことがありますが、そのせいもあるのでしょう。
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2012年6月18日月曜日
建築物探訪VIII
名称:雑喉場橋 親柱
住所:大阪市西区江之子島1
かつてこのあたりに百間堀川が流れていたそうです。川幅は30m程で江戸堀川、京町堀川、阿波堀川を集めて木津川に合流していたようです。
百間堀川の東岸鷺島は、江戸時代より雑喉場の魚市と呼ばれ天満の青物市、堂島の米市と並ぶ大坂三大市場の一つとして、大坂人の台所をまかなっていたとのこと。
その当時の雑喉場はことのほか活況を呈し大坂商人の商人魂を培っていた。しかし、300年の歴史を持つ雑喉場も昭和6年の中央卸売市場の開場によりその歴史を閉じた。
江戸後期、雑喉場から百間堀川をこえて、対岸の江之子島に架かる橋は、上之橋、下之橋の2橋があった。
明治に移り、7年に江之子島に大阪府庁舎が建設され、その翌年、大阪で5番目の鉄橋として下之橋とほぼ同じ位置に雑喉場橋が架けられた。
その後2度改築されたが昭和39年に百間堀川の埋立てとともに、雑喉場橋も姿を消した。
雑喉場橋はこの碑の東側にあたり、この親柱は大正11年改築時のもので、その上の照明灯は当時の姿を復元したものである。
メンテナンスが施されていないようで、結構痛んでいました。
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2012年6月17日日曜日
建築物探訪VII
名称 :木村邸
住所 :個人宅なので省略
竣工 :大正3年
設計者:不明
神戸の異人館は有名であるが、現存するのは少ないものの、大阪にも異人館が沢山あったとのことです。
明治時代から大正時代にかけて、大阪西区の川口辺りは川口居留地と呼ばれ、神戸北野の異人館街と同様の外国人居留地だったようです。
斬新な色の建物は「木村邸」です。調べた限りでは建築年、設計者不詳がほとんどであったが、大正3年建築との記載もあった。
外観は神戸北野に見られるような和洋折衷建築のような感じですが、内装は和風建築だそうです。2階の窓の高さも低く、手摺りがあることから、畳式であることがうかがえる。
当時の府庁の高級役人のための官舎で、副知事も住んでいたことがあるようです。
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2012年6月12日火曜日
2012年5月28日月曜日
2012年5月27日日曜日
建築物探訪IV
5月27日(日)は自転車で大阪市天王寺区清水谷町まで行ってきた。
目的は「NEXT21」です。
NEXT21のことを大阪ガスのHPで調べてみました。
近未来の都市での環境・エネルギー・くらしについて考えていくため、大阪ガス(株)が大阪市内に建設した実験集合住宅とのことです。
沢山の賞を受賞したようです。
増改築を無計画に実施してきたようにも見えます。
怖い廊下ですね。
1993年10月に竣工、1994年4月~1999年3月までの5年間、 また、2000年4月~2005年3月までの5年間、計10年に渡り、社員16家族が実際に居住し、様々な実験を行いました。
それぞれ、「第1フェーズ居住実験」「第2フェーズ居住実験」と呼んでいるそうです。
緑が多いのが特徴ですね。
意味はあるのでしょうが、私には意味のないデザインに見えます。
やっぱり怖いぞ!
当然ですが、「許可なき立ち入りはご遠慮ください」との看板が・・・。
中も見たかったです。
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2012年3月12日月曜日
建築物探訪III
住吉大社に参拝したことは既に紹介したが、参拝するのが主目的ではなく、有名建築を見に行くことが目的であった。
「住吉の長屋(すみよしのながや)」は安藤忠雄氏の初期の代表的な住宅建築です。1979年(昭和54年)に日本建築学会賞を受賞しています。 それまでは無名に近かった安藤忠雄氏はこの建築で注目されたと記憶しています。
Wikipediaによると、竣工は1976年(昭和51年)2月とあります。大阪市住吉区の三軒長屋の真ん中の1軒を切り取り、中央の三分の一を中庭とした鉄筋コンクリート造りの小住宅です。
駐車場側から撮影しました。手前のコンクリートの建物が「住吉の長屋」です。窓とベランダがある奥のコンクリートの建物は隣の住宅になっています、外に面しては採光目的の窓を設けず、採光は中庭からだけに頼っていることが分かります。
設計図や写真で何度か見たことがあるのですが、予想以上の狭小物件で驚きました。
玄関から内部に入ると居間があり、台所や2階に行くには中庭を通らねばなりません。かねてより機能性や連続性に絶対的価値をおくことに疑問を持っていたという安藤忠雄氏の渾身の表現であり、関西に根付いた長屋の住み方を現代風にアレンジしたものとして高く評価される一方で、「使いにくい」、「雨の日に傘を差さないとトイレに行けない」などの当然起こりうるべき非難もありました。
TVで見たことがあるのですが、建築学会賞の審査委員でもあった丹下健三氏は「安藤ではなく施主が一番偉い」と言っていたそうです。安藤忠雄氏本人が言っていました。また、航空写真、もしくは背面から建築物を見ると、壁面が一部セットバックしており、一般に公開されている、綺麗な長方形の平面図は一部フィクションである事が分かるということです。
そういえば、京都のソフトディバイスさんのオフィスも安藤忠雄氏設計のビルであることを思い出した。
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2011年7月4日月曜日
2011年7月3日日曜日
建築物探訪I
単身赴任先での休日は意外と忙しい。しかし、掃除、洗濯、アイロンがけ、買い出し、仕事だけでは貴重な休日が勿体ない。そこで、建築好きの私は、気になる建築物を探訪することにした。
今朝、早速幾つか行ってみた。
最初に訪問したのはここです。白地に「赤白赤」のタイルのラインが印象的で、とても個性的な外観意匠です。
ここは「旧鴻池本店」です。
調べてみると、鴻池家は江戸時代の豪商であった。初代善右衛門は海陸運送業に進出し、三代善右衛門は酒造業から両替業に転出、大阪で随一の地位を占めた。鴻池新田の開発も善右衛門の時代である。この旧本店付近は空襲での被害を免れたそうである。
鴻池組の旧本社であったこの建物は明治43年(1910年)か大正3年(1914年)に建てられたようです。
設計者の久保田小三郎(1868~1934年)は辰野金吾の下で日銀本店(1896年)の建設にも携わっていたようなので、どことなく似ているような気がします。
一般公開はしていませんでした。とても残念です。
住所は「大阪府大阪市此花区伝法4-3-55」です。
当旧本店と隣接する旧本宅はほぼ同時に建設されたとされているが、調べてもよく分からない、
2階内部は、当時著名な彫刻家相原雲楽の作品であると言われている。
梁(?)にも漆喰が塗られており、丁寧、豪華に仕上げられた感じがします。
大阪での単身赴任がいつまで続くか分からないが、できるだけ多くの建築物を訪ねようと思う。
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