2012年6月18日月曜日

建築物探訪VIII

 
名称:雑喉場橋 親柱
住所:大阪市西区江之子島1


かつてこのあたりに百間堀川が流れていたそうです。川幅は30m程で江戸堀川、京町堀川、阿波堀川を集めて木津川に合流していたようです。
百間堀川の東岸鷺島は、江戸時代より雑喉場の魚市と呼ばれ天満の青物市、堂島の米市と並ぶ大坂三大市場の一つとして、大坂人の台所をまかなっていたとのこと。
その当時の雑喉場はことのほか活況を呈し大坂商人の商人魂を培っていた。しかし、300年の歴史を持つ雑喉場も昭和6年の中央卸売市場の開場によりその歴史を閉じた。


江戸後期、雑喉場から百間堀川をこえて、対岸の江之子島に架かる橋は、上之橋、下之橋の2橋があった。
明治に移り、7年に江之子島に大阪府庁舎が建設され、その翌年、大阪で5番目の鉄橋として下之橋とほぼ同じ位置に雑喉場橋が架けられた。
その後2度改築されたが昭和39年に百間堀川の埋立てとともに、雑喉場橋も姿を消した。
雑喉場橋はこの碑の東側にあたり、この親柱は大正11年改築時のもので、その上の照明灯は当時の姿を復元したものである。


メンテナンスが施されていないようで、結構痛んでいました。
 
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